第一回面会交流~ドーナツの穴ぼこ~
2024年3月、私は離婚した。
1歳と少しの子供がいて離婚した。
離婚の経緯は書きたくなった時にでも書こうと思う。
この日記は、面会交流(離婚した夫が月1回で息子と会える日)に自分が思ったことを
忘れないようにする為。また、同じように子供と会えなくなった人と交流出来ればと
思い作った。
早速、第一回目の面会交流について書こう。
離婚のあれやこれやで子供と会えるのは、一か月半ぶりだった。
もう少しで2歳だが、久しぶりに会った息子は私に対して少し緊張していた。
会う前は自分のことを忘れていたらどうしようとか考えて暗い気持ちになっていたが、緊張する息子の姿を見て私は、嬉しさを感じた。少し前は、緊張という感情は息子にはなかった。誰の前でもニコニコして、トコトコと近づいていたからだ。
息子は確実に成長している。それが私には嬉しかったのだ。
少し遊んでいたら、緊張も解けてきたのか小さなミカンを持ってきて「みっか」と言ったり、小さなこまを持ってきて「こっま」と言って私にしゃべりかける。
とてもかわいかった。
コンセントのことを「あな」と言った。前妻は「空洞があるものはなんでもあなと言うの」と教えてくれた。
私は、両手で丸を作り、その空洞のことも息子は「あな」と呼んだ。
次の瞬間である。息子はその「あな」のことを「ない」とも呼んだ。
そこで私は昔好きだった”藍坊主”というバンドの”ハローグッバイ”という歌の歌詞を
思い出す。
【「ドーナツの穴ぼこは存在か空白」かとだれかが言ってた。美しい言葉。】
私にとって息子が話す言葉はすべて美しい。私は子供のことが大好きである。
なぜ、月1回でしか会えなくなってしまったのか、こんなにも愛しく、
自分よりも大切な存在を育てる権利を私は放棄してしまったのである。
子供をおいて離婚するということはそういうことだ。
次に、息子と絵本を読んだ。
そこにはお父さんとお母さん、二人の子供が描かれていた。
息子はその絵本の大人の男性を指さして「ぱぱ」と言った。
私はそれを聞いたとき、涙を抑えられなかった。
息子に対しては、私のことを「Aくん」と呼ばせると前妻とは決めている。
前妻は早めの再婚を希望しており、その人(まだ特定の人はいないらしいが)を
「ぱぱ」と呼ばせたいようだったので二人で決めた。
息子には「ぱぱ」と呼べる存在が現状ではいない。
それはすべて私のせいである。
一か月半ぶり、そして第一回目の面会交流はとても嬉しくもあり、
また辛い瞬間もあった。
第二回はこどもの日に会わせてもらえる予定だ。
また書こう。書いて自分の気持ちを整理するのだ。
息子に対して、自分に対して、どう思い。そして私自身、息子に対して出来ることなどあるのかどうか。